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あの頃のヘアスタイル辞典
ハミルカット



ハミルカット ドロシー・ハミル
ハミルカットのドロシー・ハミル
76年のインスブルグ冬季オリンピックで見事に金メダルを獲得したフィギュアスケート選手のドロシー・ハミルは金メダルを獲ったという事より別の意味で世界中の注目を浴びました。

それは、のちに「ハミルカット」と呼ばれる事になる彼女のヘアスタイルでした。

競技で激しくスピンすると、ハミルの髪はふわりと浮きあがり、スピンが終わると何事もなかったかのようにピタリと元の状態に戻るヘアカットに観客は魅せられました。

おそらくベースはグラデーションボブだと思われます。

ハミルカットを現代からみるとかなり重たい感じですが、ソギや質感カットなどまだ存在しなかった時代です。
それにブラントカットのみで作ったスタイルだからこそ素晴らしい再現性があったのでしょう。

実はハミルのヘアカットを行ったのは須賀 勇介という日本人のヘアデザイナーでした。
ハミルカットはもちろん日本でも大流行し、須賀 勇介と言う名を日本人は逆輸入の形で知ることになりました。

須賀 勇介は海外で成功した初の日本人ヘアデザイナーだと言ってよいでしょう。

彼の凄いところは、普通はヘアカットで有名になったらヘアカット専門ヘアデザイナーみたいになってしまうのですが、須賀勇介はヘアアレンジにも卓越した才能を発揮し「ヴォーグ」や「コスモポリタン」などの世界的に有名な女性誌の表紙を担当したりもしました。

しかし、残念ながら90年代に他界されました。 進行性の早いがんだったと言われています。
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