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ヘアカットの仕方【ENESのWEB美容学校】HOMEヘアデザインクラス1960年代


1960年代のファッションとヘアスタイルについて図解入りで解説します

NIKKO校長の特別講義

  文化のビッグバン  1960年代(PART2)




1960年代 ナンシークワン
’63 ナンシー・クワン 元祖グラボブ



1960年代 ファイブポイント
’64 ザ ファイブポイント ジオメトリックカットの最高傑作であり、原点でもある



1960年代 ザ ジオメトリック
’65 ザ ジオメトリック




1960年代 ザ エイシンメトリック・ジオメトリック
’66 ザ エイシンメトリック・ジオメトリック
事故で片目を失った客のために考案した

ビダル・サスーンは1928年にユダヤ系イギリス人としてロンドンに生まれました。
母親はスパニッシュ・ダンサー兼歌手、父親はカーペットを売買する商売人でしたが、ビダルが4歳の頃父親が突然蒸発、当然生活は苦しくなり、ビダルは6年間孤児院に預けられます。

ビダルが11歳の頃母親が再婚したので、また家族一緒に暮らせるようになります。
新しい父親は優しく働き者だったので、生活は比較的安定していました。
それが良かったのか悪かったのか、ビダルは才能の片鱗を表すどころか、今で言うフリーターの様に、成り行き任せの生活を送っていました。

見かねた母親が、自分の従姉が美容師見習いとして当時著名な、美容師でありながら「教授」の肩書を持つアドルフ・コーエンについているのを知り、ビダルにもコーエン教授のもとで美容師になることを勧めます。

しかしビダルは「あんな香水の匂いの充満した所で、シャンプー液につかるような生活を送るのはまっぴらご免」と最初は反対します。
結局、母親思いの彼が折れ、渋々(内心落ちる事を念じながら)コーエン教授の面接を受けることに同意します。

そんな気持ちで面接を受ければ普通は受かるはずはないのですが、やっぱ運命よね。
コーエン教授はビダルの礼儀正しい振る舞いをたいそう気に入り、通常ならば見習い期間中、教授に支払わなくてはならない費用を免除してまで、ビダルを採用してくれる事になりました。

コーエン教授偉い!!(パチパチ) もし、あなたがビダルを美容界に入れてくれなかったら、今のカット理論は存在してなかったかも。

さあ、そこからビダルは美容界の頂点へ一気に駆け上り・・・・ とはいきませんでした。

私が思うに、ビダルは結構感情の起伏が激しい人だったみたいね。
気分が乗っているときは練習も一生懸命やるけれど、一度落ち込むと、仕事でも失敗ばかり・・・・(シャンプー時に、お客さんを全身びしょぬれにしてしまったり、電髪パーマで髪を黒こげにしてしまったり、コーエン教授も頭抱えたでしょうね。)

この傾向はビダルが独り立ちしてからも、続きます。
ひとつ、有名な話があります。

出場したコンクールで散々な成績に終わったことを契機にビダルの気持ちは一気に急降下、翌日店には立ったものの、気分は最悪、当然仕事はうまくいかず、ついにビダルは爆発、はさみを文字通り放り投げ店をとびだします。(放り投げられたハサミは床には落ちてこないで、なんと天井に突き刺さっていたそうよ。あぶね〜 お客さんに刺さらなくて良かったよね〜)

ビダルはその足で銀行へ行き、預金をすべて下ろして、フランスへ旅立ってしまいます。
さあ、ビダルの美容人生最大の危機!彼の美容人生はここで幕を下ろしてしまうのか???

しかし、結果としてこれが良かったみたいよ。
フランスへ渡り、まったく新しい人生を始めようと思ってみたものの、劇場へ行っても美術館へ行っても気になるのはヘアスタイルの事ばかり、すっかり自分がヘアスタイルの魅力に取りつかれてしまっていることを再認識する事になりました。

やっぱ煮詰まってしまった時は、しばらく仕事から離れてみる事も大事ね〜。 私も経験があるわよ

結局2週間ほどでビダルはロンドンへ戻ってきます。
そして一度は飛び出したサロンへ戻り、深く謝罪して、また働き始めます。

この一件でビダルは吹っ切れたみたいで、ここからビダルの快進撃が始まります。

1954年26歳でビダルはボンドストリートに自分のサロンをオープン。
当然店は大繁盛しますが、さらにビダルは当時当たり前だったカーラーを巻き、スプレーで固めたヘアに疑問を感じ、ヘアカットだけでおさまり、揺れ動いても自然に元に戻る方法を模索し始めます。

1963年に当時の有名女優ナンシー・クワンの長い髪をバッサリ切ってショートボブにしてしまいます。
髪の動きを見極め、極めて正確にカットされたボブは、頭をふってもピタリと元の位置に戻りました。
最初のグラデーションボブの誕生です。 当然世間に強いインパクトを与え、ビダルの名前を一気に有名にしました。

そして64年ファッション誌の女性編集長が授賞式に出席するので、何か新しいカットをしてほしいというリクエストに、ビダルは、ほくそ笑み、当時としては珍しい5インチのハサミを持ちだします。
ただならぬ気配を感じ取った女性編集長は激しく抵抗しますが、結局ビダルの意のままにされてしまいます。

そこで生み出されたのがジオメトリックカットの最高傑作「ファイブポイント」でした。
ビダルのカットが終わった時には、周りの顧客から拍手が巻き起こったそうよ。

その後もビダルは「ザ ジオメトリック」、「ザ エイシンメトリック・ジオメトリック」などたくさんの作品を発表します。


もしこれを見ているのが若い美容師のあなたなら、少しは参考になったかしらね。
世界で一番成功した美容師はまた、世界で一番悩み、失敗を重ねた美容師でもあったて事
みなさんがんばって立派な美容師になってね〜

※ビダルサスーンの項はしんびよう付録「V・サッスーンの奇跡」(91年)を参考にさせていただきました。


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