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ヘアカットの仕方【ENESのWEB美容学校】HOME>ヘアデザインクラス>1980年代のヘアとファッション(ファッション編)
1970年代のファッションとヘアスタイルについて図解入りで解説します
ジャパン アズ ナンバー1ファッション編 |
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色からしてまるで裸でいるみたいな アライアのボディコンシャススーツ。 日本版ボディコンスーツ。肩パッドははずせないアイテムだった 刈り上げボブのカラス族 全身PINKHOUSEで決めた女性 |
文化の成熟70年代から80年代になって、大きく変わった事があります。70年代までは、みんな同じ方向を向いていたというか、一つのものが流行すれば、みんな右へならいで、他人と同じものを持つことで、安心できると言う考えよね。 ところが、80年代に入ると、状況がだいぶ変わってきました。 戦後0からスタートした日本経済も、80年代中頃には平均株価3万円を超えるようになり、日本は堂々たる経済大国となりました。 海外旅行も当たり前になり、車も一家に1台どころか一人に1台の時代になり、生活の豊かさを実感できるようになると、人と同じものはイヤ、もっと自分の個性を表現したいと考える人たちが多数を占めるようになり、ファッションや、ヘアスタイルでの大流行と言うものは無くなり、いくつかの流れが並行して流行する時代になりました。 エグゼクティブ ウーマンの誕生社会への女性参加も当たり前になり、組織内で出世したり、ビジネスで成功したりする女性も増えて来ました。その世相を反映してか、この頃の女性服には肩パッドが多く使用されました。 このまま女性服は男性服に近づいて行くのかと思いきや、84年にアズティア・アライアが「ボディコンシャス・スーツ」を発表すると、これが当時のナオミ・キャンベルやシンディ・クロフォードなどのスーパーモデルの支持を受け、ヒットします。 いわゆるボディコンよね。 スポーツ素材の伸縮性のある生地を使ったボディコンスーツは体にぴったりと吸着し、ボディラインの美しさを強調しました。 「そりゃ、体型に自信のあるスーパーモデルなら問題ないでしょうけれど、それなりの体型の一般人はどうすりゃいいのよ」って訳で、この頃からよね、ダイエットだとかエクササイズが流行り出したのは。 ちなみに、ボディコンシャスのコンシャスとは「意識する」と言う意味です。 黒の衝撃80年代初頭、川久保玲(コムデギャルソン)や山本耀司(Y’S)らがパリで発表した作品にファッション界は大きな衝撃を受けました。黒や白のみの無彩色で構成され、だぼだぼの上に大きな穴があいたようなファッションは、今までのファッションの流れとはかなり異質なもので、男女の性差や年齢などを超越した彼らの作品はファッションの新しい可能性を示すものとして、新聞や雑誌でセンセーショナルに取り上げられました。 この影響で日本にも全身を黒でまとめた「カラス族」が出現しました。 「カラス族」はハウスマヌカン達にとくに多かった気がするわ。 ハウスマヌカンって若い人は知らないでしょう? 当時はショップの店員をそう呼んでいたのよ。 今思うと、ずいぶん気取った呼び方してたものよね。 東京、ミラノ、ニューヨークの参入80年代のファッションはパリだけではなく様々な都市から発信されるようになりました。ミラノからはジョルジオ・アルマーニ、ジャンフランコフェレ、ベルサーチ ニューヨークからは、ラルフ・ローレン、ダナ・キャラン・カルバン・クライン そして、TOKYOからはコムデギャルソン、Y’s,イッセイミヤケを始めとする様々なブランドが誕生しDC(デザイナー&キャラクター)ブランドブームが起こり、それまではオシャレに興味が強い人たちが着ていた少し高価なブランド服を一般の人も着るようになりました。 80年代は経済的にも文化的にも成熟した日本が、いろんな分野で世界から注目され、また世界に進出した時代でもありました。 今回は80年代のファッション編を紹介しました。 80年代ヘア編は次ページで紹介します。 |
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