ヘアスタイリストとしては、おそらく世界一有名なビダルサスーン氏が5月9日米ロサンゼルスの自宅で死去されました。
享年84歳でした。
若い方は「え!まだご存命だったの?」と驚かれれる方もいるでしょう。
何せビダルサスーンが世界的に注目を浴びていたのは半世紀以上前の1960〜70年代ですからね。
1928年ユダヤ系イギリス人としてロンドンに生まれたビダルは、4歳の頃、父親の突然の蒸発などによる生活苦から一時孤児院に預けられるなど苦労を味わいながらも、当時有名なヘアドレッサーのコーエン教授に美容師としての才能ではなく、礼儀正しさを気に入られ、この世界に身を投じる事になりました。
しかし、美容師になることは、決してビダル自身が望んだ事ではなく、母親から半ば強制的に放り込まれたもので、アシスタント時代のビダルは仕事が嫌いで嫌いで仕方がなかったようです。
その後もかなりの紆余曲折があり、一時期は完全に美容師を辞めてしまった時期もありましたが、運命の導きにより、ついにヘアスタイリストとして開眼し独立しました。
その後バーバーのヘアカットをヒントにジオメトリックカットを考案し、「ナンシー・クアン」、「ファイブポイント」、「ザ・ジオメトリック」など、ピンカールと、カーラー巻きで作る装飾的なヘアスタイルが主流だった当時の美容師と一般人の度肝を抜く超シンプルなヘアスタイルを発表し、一躍時代の寵児となります。
ビダルの偉業は何といってもピンカールとカーラーで作っていたヘアを一瞬で過去のものとし、新しいヘアの世界を創出したと言う事でしょう。
ビダルのヘアカットとブロードライ技法は、瞬く間に世界中に広がりました。
さらに、半世紀以上たった現代においてもベーシックとして存在し続けているのは、考えてみれば、とても驚異的な事です。
今後もビダル・サスーンを越えるような人物は、おそらく現れては来ないでしょう。
ビダル・サスーンについては
ヘアとファッションの歴史でさらに詳しく紹介しています。
偉大なる先輩へ
あなたが築いた現代ヘアカットの礎を今までどれだけ多くの若者が学んだでしょう。
遠い昔に、小さなハサミ一つで世界を変えた男がいたという伝説と共に、これからも、たくさんの若者がさらに学び続けるでしょう。
美容師になり、あなたの偉大な才能の一端に触れる事が出来た事を、私はとても誇りに思います。
ありがとうビダル、そして、さようなら。
追悼の言葉に代えて。